瀬戸内海の中央に位置する鞆は,古来,潮待ちの港として栄え,豊かな歴史と文化を育んできた町です。「鞆の浦」の地名は,日本最古の歌集『万葉集』にすでに見え,中世には「足利氏は鞆に興って鞆に亡ぶ」と言われるように,瀬戸内の重要な軍事拠点でもありました。
  近世に入り,鞆城を中心に城下町の町割ができましたが,西回り航路が開発され北前船などの商船が出入りするようになると,商港として大きく発展しました。商船だけでなく朝鮮通信使・琉球使節・オランダ商館長の一行などが入港し,海外からの文化を受け入れた国際都市でもあったのです。
 江戸時代の後期になると,頼山陽などの文化人が鞆の商人を頼って頻繁に訪れ,幕末の動乱期には三條実美など七卿が立ち寄り,坂本龍馬は「いろは丸事件」の際,鞆に上陸し紀州藩と談判を行いました。
 現在も残る多くの歴史的文化遺産は,海の道によって鞆にもたらされ,大切な港を守る江戸時代の港湾施設,常夜燈・雁木・波止・焚場跡・船番所跡の5点セットが日本では唯一鞆港にだけ残っています。
 低丘陵を利用した鞆城跡に立つと,半円形の港や港湾施設をはじめ,自然の防波堤であった仙酔島・弁天島・玉津島・津軽島など名勝「鞆公園」に指定された島々を近くに見ることができます。その風光明媚な景観は,国立公園第1号の「瀬戸内海国立公園」の一角でもあり,頼山陽は「山紫水明所」と表現しました。はるかに遠くを望むと,四国連山が雲をいただき,朝鮮通信使が「日東第一形勝」と絶賛した穏やかで雄大な自然景観が眼前に展開します。鞆の浦の魅力は,歴史遺産だけでなく,それと自然景観とが見事に融合した文化的景観にあります。
  福山市鞆の浦歴史民俗資料館は,1977年から始まった地元有志による調査・収集活動が原動力となり,福山市制70周年の記念事業として,鞆城跡の高台に建設されました。館内には,古代から近世にいたる歴史資料,お手火神事やお弓神事などに関する民俗資料などが常設展示され,「潮待ちの館」の愛称で親しまれています。また,特別展や企画展では,鞆の浦を中心にした瀬戸内の歴史・文化・民俗をテーマに,特色ある展覧会が開催されて,人気を集めています。
  館内の見学とともに、鞆城跡からの眺望も併せてお楽しみください。