10月8日(木)~12月6日(日)まで
瀬戸内海の中央に位置する鞆の浦は、最も「潮待ち」に恵まれた港町として万葉の時代から海上交通の要衝として栄えました。
南北朝の動乱では、足利尊氏は、再起をかけて京上する際に鞆で軍勢を集結させるなどし、その後、1338年に室町幕府を開いています。足利氏にとって鞆は吉兆の地でもありました。
室町時代末、京都から逃れた十五代征夷大将軍・足利義昭は、1576年2月、毛利氏などを頼り、由良の興国寺(法燈派)から海路で鞆へ上陸しました。義昭は、将軍の位を持ち続けて、鞆港や瀬戸内海を望む海城・鞆城や沼隈半島一帯に小規模ながら亡命政権の「鞆幕府」を構え、幕府再興と織田信長包囲網を執拗に画策しています。「本能寺の変」で織田信長が倒された後、義昭は豊臣秀吉の計らいで帰洛し、鞆幕府は幕を閉じました。鞆を契機の一つとして開かれた室町幕府は、奇しくもその終焉も鞆でした。
足利義昭の備後での足跡を明かす資料などを展示します。

